巡礼に地図はいらない。正確には、なくても大丈夫。なんでって、黄色い矢印があるから。
イベリア半島の北西の角に位置する街、Santiago de Compostela は沢山あるキリスト教の聖地の一つだ。あとの聖地はイェルサレムしかしらないが。この海近くの街の大聖堂、の近くの巡礼事務所を、一応のゴールとして、そこに至る道筋にはずーっと黄色い矢印が設置してある。県の建てた立派な看板だったり、村の人が建ててくれた木の棒に描いた矢印だったり、足元の石ころに黄色くペイントしたものだったりする。とにかくこの矢印に従っていれば、850kmを歩いて聖地にまで着いちゃうんだ。
ちなみに、黄色い矢印とセットになっているのが、ホタテの貝殻で、これも至るところに設置されている。写真の矢印の中に描かれた文様は、ホタテ貝を表わしてる。巡礼の道は1つじゃなく、スペイン内の主要なルートで3つ、スペイン外からもいろんなところから伸びてる。実はパリのエッフェル塔の真下に、このホタテ貝の金色のレリーフが埋まっていたりする。
さて、この黄色い矢印がヤバい。という話。
「巡礼で歩いている間は、辿り着くべき場所があって進むべき道も教えてくれるだろ。黄色の矢印やホタテ貝。いつもそれを探して辿って毎日が過ぎてゆく。そして、海に出て巡礼が終わる。でも、人生って続くじゃん。毎日生きていかなきゃいけない。でももう黄色の矢印もホタテ貝もない。しばらくはなんとかやっていけるけど、ある日突然、あの黄色の矢印が無性に欲しくなるんだ。そして気がつくとまた巡礼道を歩いている。これってヤバいよなあ。」
引用:Coyote No.39 P.54
私も日本に帰って来てからしばらくは、ついつい、地下鉄の出口とか、橋の入り口の欄干とかに、黄色い矢印を探していた。巡礼中の体験は、とにかく楽しくて、黄色い矢印を探すことはその体験の中で刷り込まれた、日常そのものだった。だから、帰って来てからも、黄色い矢印を探すことが当たり前になってた。「巡礼は人生と同じだ」とベンツが教えてくれなければ、私もやっぱり、居ても立ってもいられない想いで、1年後くらいにはまた巡礼にいってたんじゃないかと思う。
人生に黄色い矢印はない。だから、焦る。そこだけを見てると、ほんとヤバいんだ。