スキップしてメイン コンテンツに移動

エスカルゴ





Puente la Reina のバルでコーヒーを飲んでると、奥のテーブルに男たちが集結してきた。店員に尋ねたら、カタツムリを食べるんだという。頃合いを見計らってゆーさんをけしかける。「おっちゃんら女に弱いからお前行ってこい。」とやると、案の定うまいことご相伴に預かれた。

今日は月に一回の美食クラブで、今朝みんなでカタツムリを獲ってきて、このバルで料理してもらったんだそうだ。私達が毎日道で踏んづけそうになっている、あのでっかいカタツムリ。始めて食べた、野性のエスカルゴ。


このブログの人気の投稿

通じ合えるという可能性

スペイン語をもっと話せたら、もっと交流してるという実感があるんだろうな。いつも簡単な買い物とか道を尋ねることばしか話してないからな。言語によらない言語はどこへ行ったのか?愛とか優しさとかさ? 英語を話せると楽だからつい英語で話そうとしてしまう。言語だこれ。 泉の水をくださったおばあちゃんの村Martés(5/30)が今までの町の中で一番印象が深い。英語は全く通じないし、スペイン語と多分バスク語と日本語と、ジェスチャーで会話した。でも何かが通じ合ったという実感があった。優しさとか親しみとか好きという気持ちが通じ合った。 Altiedaでのベンツとの会話を思い出す。デンマーク老人のベンツは人懐っこい、あちこちでスペイン人と冗談を言い合って笑っている。たまに分からない言葉があったらスペイン語の辞書を引いては喋っている。わたしは羨ましくて、スペイン語上手だね、とベンツに言った。 ベンツ "I can't understand Spanish." わたし "But you comunicate in Spanish well." ベンツ "Yes. Because I'm trying to." なんてこった。敵わないなこりゃ。すげえじいさんだった。 通じ合おうという努力、意志、立場。貫いている。

怒り

自分の中の怒りのフィルターとの戦い。 虫キングと、勝手に名づけたフランス男性の巡礼者と、うまくコミュニケーションがとれず、彼を逆恨みしている。虫キングへの怒りを思い出しては、どんどん怒っている。やばい。なんか変だ。休憩して、また歩こうとしたら、足が動かなくなった。ゆっくりとしか歩けない。完全に心の問題だと分かっている。心が閉じてしまっていた。ゆっくり、栗の森に入った。 ええ、いた、虫キングだ。いるはずないのに。一人で木立のなか座って休んでる。声を掛けようと思うのに、やり過ごしてしまう。心がダメ出しをしているが、そのまま歩く。そこにきて、ついに手はまったく動かせなくなり、だらりとたれたまま歩くしかない。ガイドブックに載っている、「曲がってはいけない」右矢印の道へ曲がっている。迷わず、左へ。 そこで、すーっと目に入ってきた、大きな栗の木。歩みが、止まった。 「休憩する。」 しばらくうまく話せなかった。木陰に座って、ゆーさんに虫キングとうまくコミュニケーションできなくて悔しいんだと話した。「小学校のときのカトウ君と似ていて、すごくはしゃいで振る舞うけど、根は真面目過ぎんだっ。」「苦手な人と全員うまくやろうとせんでもいい。」と言われる。 そのまま私ひとりで、森の中へ入って、写真を撮っているとき、ゆーさんと虫キングが出会った。こちらからは見えなかったけど、声だけは聞こえたみたいだ。私が森の中でうろうろと写真を撮っているのをネタに話して、虫キングが「おーおーっ。」と頷いていたらしい。なんとなく和やかだ。その後で捻挫した。これで何回目だ!

はじめに

Puente la Reina(王妃の橋) 何年も前に、ヨーロッパのどこか、同じ郊外の夢を2度続けて見た。その時はまた同じ夢を見たなと思っただけ。何日かすれば忘れてしまうような出来事だった。 その夢には続きがあった。 ある日銀座の画廊で、世界中を旅して「町の彫刻」を作っているという彫刻家と出会う。彼の彫刻のひとつが、私の見た夢の中の町だった。彫刻家によれば、それは、スペインのプエンテ・ラ・レイナという町なのだという。さらに、何年かが経って、パウロ・コエーリォの作品を読んでいると、その町がサンチャゴ巡礼の道にあると書いてあった。 「いつかは行ってみたいという気がする。」 「でも、馬鹿げてるな。」 そして、以前と同じように忘れ去ってしまった。 歯車が動き出したのは、ゆーさんと結婚して2年目。家族会議で心の底から旅をしたいところについて話し合ったとき。心の奥で、ざわざわとした、この町の記憶が蘇っていた。 「よし!行こう!」 私の夢物語を聞いたゆーさんが即座に言った。 「え~!普通そこ止めないか?!」 「ウチはバスで移動しますけどね。」と言ってたゆーさんの方が、いつの間にか、私よりも巡礼の道に詳しくなっていく。最後には一緒に歩いていた。 夢を忘れずにいたことも、この人に出会ったことも、同じ一つの運命だった。