スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

はじめに

Puente la Reina(王妃の橋) 何年も前に、ヨーロッパのどこか、同じ郊外の夢を2度続けて見た。その時はまた同じ夢を見たなと思っただけ。何日かすれば忘れてしまうような出来事だった。 その夢には続きがあった。 ある日銀座の画廊で、世界中を旅して「町の彫刻」を作っているという彫刻家と出会う。彼の彫刻のひとつが、私の見た夢の中の町だった。彫刻家によれば、それは、スペインのプエンテ・ラ・レイナという町なのだという。さらに、何年かが経って、パウロ・コエーリォの作品を読んでいると、その町がサンチャゴ巡礼の道にあると書いてあった。 「いつかは行ってみたいという気がする。」 「でも、馬鹿げてるな。」 そして、以前と同じように忘れ去ってしまった。 歯車が動き出したのは、ゆーさんと結婚して2年目。家族会議で心の底から旅をしたいところについて話し合ったとき。心の奥で、ざわざわとした、この町の記憶が蘇っていた。 「よし!行こう!」 私の夢物語を聞いたゆーさんが即座に言った。 「え~!普通そこ止めないか?!」 「ウチはバスで移動しますけどね。」と言ってたゆーさんの方が、いつの間にか、私よりも巡礼の道に詳しくなっていく。最後には一緒に歩いていた。 夢を忘れずにいたことも、この人に出会ったことも、同じ一つの運命だった。
最近の投稿

Camino Aragonés

アラゴンルートでのハイライトのひとつ、山間の町 Arres アーレス。各地からの巡礼ボランティアが集まり、時間を掛けて、石を組んで、巡礼者のためのこの町を作った 私達が歩いたルートは途中までがアラゴンルート / Camino Aragonés と呼ばれる道だった。この道はアラゴン川沿いの谷間をハカ / Jaca から西へと向かう。アラゴン州を通過、ナバラ州を通り、Puente la Reina の直前の町 Obanos で フランス人の道 / Camino francés と合流する。約100km。Santiago de Compostela までの850kmの道のりの約1割をここで過ごした。 アラゴンルートは良かった。フランス人の道に合流すると、とたんに人が増えて、ひどくショックを受けた。こんなの巡礼じゃねえとか言って。 アラゴンルートは、地元の人も、巡礼者も、宿も少ない。予定を合わせなくても、次の日も同じメンツが揃ってたりする。でも、やっぱり歩くスピードが違うから、また今日も同じ宿で会えるだろ、と思ってた人にもう2度と会えなかったりする。また会えると思ってた人に2度と会えなかったりするのは、フランス人の道に入っても同じだっけ。アラゴンルートにいる間は、会える率が凄く高かった。それから、巡礼者も含めて、人を見つけたときの嬉しい気持ちがハンパじゃなかった気がする。人と出会うって、こんなに嬉しいことなんだって思えた。都会に出ると、巡礼者とすれ違っても何も言わない人たちと出会い続けるってショックをさらに受ける。なんていうか、人口密度の問題だ。で、そういう体験を重ねたわたし達は、その後日本に帰って田舎に移住することになった。 緑の植物とお城、遠くにはポツンと巡礼者というのが、Camino Aragonés での毎日の風景。 ローマ兵の作った石畳は千年も経つと歩きにくい。 Artieda、Undresと顔を見ていたスペイン人2人組とJavier(ハビエル、ザビエル)で出会う。この2人は足が超速いくて、歩いてる間ずーっつと喋ってる。

エスカルゴ

Puente la Reina のバルでコーヒーを飲んでると、奥のテーブルに男たちが集結してきた。店員に尋ねたら、カタツムリを食べるんだという。頃合いを見計らってゆーさんをけしかける。「おっちゃんら女に弱いからお前行ってこい。」とやると、案の定うまいことご相伴に預かれた。 今日は月に一回の美食クラブで、今朝みんなでカタツムリを獲ってきて、このバルで料理してもらったんだそうだ。私達が毎日道で踏んづけそうになっている、あのでっかいカタツムリ。始めて食べた、野性のエスカルゴ。

通じ合えるという可能性

スペイン語をもっと話せたら、もっと交流してるという実感があるんだろうな。いつも簡単な買い物とか道を尋ねることばしか話してないからな。言語によらない言語はどこへ行ったのか?愛とか優しさとかさ? 英語を話せると楽だからつい英語で話そうとしてしまう。言語だこれ。 泉の水をくださったおばあちゃんの村Martés(5/30)が今までの町の中で一番印象が深い。英語は全く通じないし、スペイン語と多分バスク語と日本語と、ジェスチャーで会話した。でも何かが通じ合ったという実感があった。優しさとか親しみとか好きという気持ちが通じ合った。 Altiedaでのベンツとの会話を思い出す。デンマーク老人のベンツは人懐っこい、あちこちでスペイン人と冗談を言い合って笑っている。たまに分からない言葉があったらスペイン語の辞書を引いては喋っている。わたしは羨ましくて、スペイン語上手だね、とベンツに言った。 ベンツ "I can't understand Spanish." わたし "But you comunicate in Spanish well." ベンツ "Yes. Because I'm trying to." なんてこった。敵わないなこりゃ。すげえじいさんだった。 通じ合おうという努力、意志、立場。貫いている。

何も変わらない

結局、なぜ巡礼に行かなければいけなかったのか。日本に帰ってから、何度も、同じことを考えているけどどうも答えは出ない。「奇跡は起こってもいい。だけど、奇跡は起きない。カミーノは850kmを歩かなければサンティアゴへたどり着かない。そのことを身体でもって納得したかったから歩いたのだ。」今のところ、そう思うようにしている。 巡礼者は皆同じコトを言う。歩き終わったからって、自分は何も変わらなかった。だけど、それを確認できたことが良かったって。 巡礼をする理由はひとそれぞれ。だけど巡礼者のなかに、「巡礼は人生だ」という想いが共通していたように思う。自分がそう思っていたから同じような人と出会っただけかもしれない。けれど、歩いていると本当に実感した。辛い事が沢山あるんだけれど、その分楽しいことも一杯あった。そして、歩いてさえいれば、次の街にたどり着くことができた。きっとこれからもそう。 今日もあの巡礼路を誰かが歩いている。私達もいつかまた。 i Buen Camino !

怒り

自分の中の怒りのフィルターとの戦い。 虫キングと、勝手に名づけたフランス男性の巡礼者と、うまくコミュニケーションがとれず、彼を逆恨みしている。虫キングへの怒りを思い出しては、どんどん怒っている。やばい。なんか変だ。休憩して、また歩こうとしたら、足が動かなくなった。ゆっくりとしか歩けない。完全に心の問題だと分かっている。心が閉じてしまっていた。ゆっくり、栗の森に入った。 ええ、いた、虫キングだ。いるはずないのに。一人で木立のなか座って休んでる。声を掛けようと思うのに、やり過ごしてしまう。心がダメ出しをしているが、そのまま歩く。そこにきて、ついに手はまったく動かせなくなり、だらりとたれたまま歩くしかない。ガイドブックに載っている、「曲がってはいけない」右矢印の道へ曲がっている。迷わず、左へ。 そこで、すーっと目に入ってきた、大きな栗の木。歩みが、止まった。 「休憩する。」 しばらくうまく話せなかった。木陰に座って、ゆーさんに虫キングとうまくコミュニケーションできなくて悔しいんだと話した。「小学校のときのカトウ君と似ていて、すごくはしゃいで振る舞うけど、根は真面目過ぎんだっ。」「苦手な人と全員うまくやろうとせんでもいい。」と言われる。 そのまま私ひとりで、森の中へ入って、写真を撮っているとき、ゆーさんと虫キングが出会った。こちらからは見えなかったけど、声だけは聞こえたみたいだ。私が森の中でうろうろと写真を撮っているのをネタに話して、虫キングが「おーおーっ。」と頷いていたらしい。なんとなく和やかだ。その後で捻挫した。これで何回目だ!

矢印

巡礼に地図はいらない。正確には、なくても大丈夫。なんでって、黄色い矢印があるから。 イベリア半島の北西の角に位置する街、Santiago de Compostela は沢山あるキリスト教の聖地の一つだ。あとの聖地はイェルサレムしかしらないが。この海近くの街の大聖堂、の近くの巡礼事務所を、一応のゴールとして、そこに至る道筋にはずーっと黄色い矢印が設置してある。県の建てた立派な看板だったり、村の人が建ててくれた木の棒に描いた矢印だったり、足元の石ころに黄色くペイントしたものだったりする。とにかくこの矢印に従っていれば、850kmを歩いて聖地にまで着いちゃうんだ。 ちなみに、黄色い矢印とセットになっているのが、ホタテの貝殻で、これも至るところに設置されている。写真の矢印の中に描かれた文様は、ホタテ貝を表わしてる。巡礼の道は1つじゃなく、スペイン内の主要なルートで3つ、スペイン外からもいろんなところから伸びてる。実はパリのエッフェル塔の真下に、このホタテ貝の金色のレリーフが埋まっていたりする。 さて、この黄色い矢印がヤバい。という話。 「巡礼で歩いている間は、辿り着くべき場所があって進むべき道も教えてくれるだろ。黄色の矢印やホタテ貝。いつもそれを探して辿って毎日が過ぎてゆく。そして、海に出て巡礼が終わる。でも、人生って続くじゃん。毎日生きていかなきゃいけない。でももう黄色の矢印もホタテ貝もない。しばらくはなんとかやっていけるけど、ある日突然、あの黄色の矢印が無性に欲しくなるんだ。そして気がつくとまた巡礼道を歩いている。これってヤバいよなあ。」 引用:Coyote No.39 P.54 私も日本に帰って来てからしばらくは、ついつい、地下鉄の出口とか、橋の入り口の欄干とかに、黄色い矢印を探していた。巡礼中の体験は、とにかく楽しくて、黄色い矢印を探すことはその体験の中で刷り込まれた、日常そのものだった。だから、帰って来てからも、黄色い矢印を探すことが当たり前になってた。「巡礼は人生と同じだ」とベンツが教えてくれなければ、私もやっぱり、居ても立ってもいられない想いで、1年後くらいにはまた巡礼にいってたんじゃないかと思う。 人生に黄色い矢印はない。だから、焦る。そこだけを見てると、ほんとヤバいんだ。